極上のコーヒーと完璧な朝

「もうひとりのきみと過ごした一ヶ月」のお話より以前のお話です。 〜このブログでの、勝手な設定〜 ・美馬サマと花純ちゃんは、結婚しています。 ・花純ちゃんは有名な女優になっていて、普段はパリで暮らしています。 ・美馬サマは、プロテニスプレーヤーになったのち、引退して美馬財閥の跡を継いでいます。 大変に甘いので、苦手な方はご注意ください。 それではどうぞ。 ***** コーヒーのかすかな香りで、花純は目を覚ました。 空っぽのベッドは、隣をさぐるとまだほんのりと暖かい。一糸まとわぬ姿でベッドから抜け出した花純は、壁にかけてあったシルクのガウンを羽織ってキッチンに向かった。 パリの冬はしんしんと冷える。だが花純の住むアパルトマンは過保護な美馬の指示のもと、裸足で歩いても苦にならないほどにすみずみまで暖房がいきとどいていた。 キッチンに立っている美馬の後ろ姿を見つけて微笑む。 「おはよう。豆はなに?」 「マンデリン」 ポットを持つ手はそのままに、肩越しに振り返ってキスされた花純は顔をしかめた。 美馬のお気に入りはブルマンのストレートだ。豆も常に用意してあるのに、彼が入れるのは決まって花純の好きなマンデリン。濃いめに入れてミルクを入れるのが決まりで―――見れば、コンロには小さなミルクパンにひとりぶんのミルクがすでに温められていた。 ふたつ出されたマグカップにはお湯が張られている。 円錐形のドリッパーには挽きたての豆に、蒸らしのためのお湯が乗せられたところだった。 下から漏れているお湯は、一滴もなし。 ―――あいかわらず完璧。 明日は絶対に先に起きてブルマンを入れようと心に誓いつつ、やることがなくなった花純は後ろから美馬をそっと抱きしめた。 美馬の空いている左手が伸びて、なだめるようにその手を撫でる。 結婚して二年になる。しかし東京とパリで離れて暮らす多忙なふたりにとって、ゆっくりと会える時間は限られていた。 花純は目を閉じる。 ――― 一緒に、暮らしたいと思う。 だがそれは同時に花純が女優やモデルの仕事を諦めるということでもあった。 もしくは、仕事量を大幅に制限するか。 それがわかっているだけに、美馬も強くは言ってこない。 結婚したばかりで別れて暮らさなければならないのも、会える時間が限られているのも―――全ては自分の我が儘のせいだと、花純は考えていた。 お揃いのシルクのガウンの見ごろから裸の胸に手を忍ばせると、美馬が低く笑った。 「……手元が狂うんだけど」 「ダメ。ちゃんとおいしくいれてね」 蒸らしの終わった粉に、そっと円を描きながら細く湯を注いでいく様を肩越しに見つつ、花純はさらに手を伸ばして美馬の胸の滑らかな感触をじかに味わった。 昨夜は久しぶりに会えたふたりきりの夜で、いつ眠りに落ちたのか覚えていない。これくらいの仕返しは許されるだろう。 ふくふくと泡をたてて、こんもりと盛り上がる粉は、新鮮さの証だ。 美馬がすばやくポットを置いて花純の手をとり、身体をひねった。 「こら」 「何よ」 「手元が狂うって言ってるだろ」 口調とは裏腹に、優しく微笑む美馬を、朝の光の中で正面から見る。 シャワーを浴びたばかりらしい、少し乱れて湿った前髪。ガウンは腰まではだけて、たくましい胸がのぞいている。 たまらなく艶めいた姿に頬を染めた花純は、伸びてきた美馬の手をかわして、後ろを指さした。 「あっ、ほら、落ち切っちゃうわよ」 「おっと」 振り返ってポットを掴み、素早くお湯を乗せた美馬をまた後ろから抱きしめる。 ドリップはタイミングが命だ。一度でもお湯が落ちきって粉が陥没してしまえば、雑味が出て不味くなる。それがわかっているから、珈琲を入れているときは集中しなければいけない。 花純はにんまりして、悪戯を再開した。 広い背中に頬を押しつけると、少し早くなった鼓動が力強く鳴っていた。 「きみはいつも、ひとが身動きがとれないときだけ甘えてくる」 「いけない?」 「……できれば、いつもそうしてもらいたいんだけどね」 肩越しに甘く見つめる瞳に内心どきりとする。 ―――抱えている問題を、見透かされている気がして。 花純は美馬の肩胛骨に顔をうずめ、その視線から逃れた。 「一度でもお湯が落ちきったら、おいしくなくなっちゃうし」 「……」 「火傷するといけないから、動かないでね」 「……」 無言なのが気になるが、抵抗なく存分に楽しめるこのチャンスを逃すのはもったいない。 手を上と下、どちらに伸ばそうかと一瞬迷って、さすがに後が恐いと上にする。 胸元にたどり着くと、くすぐったいのかぴくりと美馬の身体が震えた。 「……花純」 かすれたバリトンは聞こえないふりをして、指先でもてあそぶ。ふたりぶんを抽出するには少なくともあと二回はお湯を注がなければいけないはずだ。そのあたりでシャワー室に駆け込んで鍵をかけよう、などと算段していた花純の耳に、艶めいたため息が聞こえた。 容姿だけでなく声すらも色っぽい。まったく反則にもほどがある。 ときどき、何もかも放り出して美馬のもとに行きたくなる。 だがそれはあまりにも無責任というものだ。 自分の問題は、自分で解決できる。―――自分ひとりのちからで。 そんな思い込みが美馬に心配をかけていることを、花純はしらなかった。 目を閉じて彼の声の余韻に浸っていた花純は、ポットを置く音にぎくりと顔をあげた。 悪戯していた右手は、すでに美馬の手中にある。 冷たく光る瞳で見おろされ、花純は慌てた。あっという間に片手で抱き寄せられ、裸のヒップをするりと撫でられる。 すっかり忘れていたが、下着をつけていなかった。 青ざめて、そろそろと見上げると、目が合った美馬がにやりと笑った。 「いいね。手間がはぶける」 「あの……せっかくのコーヒーが冷めちゃうんだけど」 「さんざん楽しんでくれたんだ。ぜひおかえしがしたいね」 「さんざんって……それは昨夜のあなたのことでしょ!!」 「日付が変わるとリセットされるんだぜ。知らなかった?」 「そんなのおかしい……んっ……」 顎を捕らえられ、壁に押しつけられて深く口づけられる。美馬の膝が両脚の間に割り入れられ、強引に開かされた。首筋をたどるくちびるに、ぞくりと火をつけられる。 「立ったままとテーブルと、どっちがいい?君が選べよ」 「シャワーをあびて、着替えて椅子に座って、淹れたてのコーヒーが飲みたいわ」 「それは、―――あとで」 物思いにふけって、うっかりドリップ時間の読みを間違えた自分をののしるが、あとの祭りだ。 憮然としていると軽々と抱き上げられ、テーブルに座らされた。 「何を考えてた?―――なにかあるなら何でも言って欲しい」 (……!) 両手で頬を包み込まれる。キスの熱に浮かされているにしては不釣り合いな、誠実な瞳が覗き込んでいた。 花純は身体を固くする。ぼんやりしていたことなど、彼はお見通しなのだと。 少し迷って、何でもないことのように微笑んでみせた。 「もっと一緒にいたいなって……そう思ってただけよ」 「それは、オレも同じだ」 「……それとその、……好きだなって……。―――それだけ」 瞳の光を柔らかくして、美馬も微笑んだ。 「オレはもっと愛してる」 美馬は顔を傾け、脣を重ね合わせた。大きな手のひらが花純の後頭部と腰を支え、ゆっくりとテーブルの上に横たえられる。 そばでは淹れたばかりのコーヒーが、湯気をたてていた。 少し目を潤ませて見上げてくる花純の、上気した頬に口づける。両手が首に回され、美馬はまた笑みを浮かべた。 幸福で、完璧な朝。 このやりとりを思い出し、もっと深く問い詰めるべきだったと美馬が後悔するのは――― 数ヶ月のち、花純が事故に遭ってからのことだった。 Fin. ***** 花純ちゃん、原作でもこういうことしてましたよね!! あら、わたしったら今回は原作に忠実♪(え?違う?) まあ、主役はコーヒーということで!(笑) 美馬サマの淹れたコーヒー、飲みたいなー。と思う、さえこでした♪

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