届かなかった手紙<08>

手紙は、短いものだった。 今まで美馬の手元に届いていたものと同じくらいに。便箋1枚から2枚程度で、言葉は少なくさらりとしたためられている。だが、花純の動向を追いかけていた美馬には、そのシンプルな内容に隠れたさまざまな苦悩が読み取れた。 一度はトップモデルといわれるまでに上り詰め、しかし悩んだ末にモデルをやめたこと。 女優として歩み出しながらも、日本人であるがゆえにメインキャストに選ばれないこと。 転向したのは間違いだったのか。喜び、悲しみ、悩む彼女の姿が垣間見える。 言葉の難しさ、人種の違い、花純に立ちはだかったのは、美馬がテニスの選手時代にぶつかった同じ壁でもあった。 美馬は、胸ポケットに入れていた同じ封筒を取り出した。中には手紙ではなく、写真が入っている。 ヨーロッパの―――おそらく南仏かどこか―――湖のほとりから撮影された、雄大な日の出。薄もやのなかに曙光が差し、空を美しい淡紅色と薄紫色に染めている。 この写真が届いたのは、美馬がひどいスランプに陥っていた頃だった。理由もわからず突然サーブが決まらなくなる。集中力が続かない。いままで狙っていたギリギリのショットが僅かな誤差でアウトを取られる。格下の選手に何度もしてやられ、著しくランキングを落とした年。言葉もなにもないただ美しい夜明けの写真に、涙がこぼれそうなほど癒され、励まされた。―――足元を見つめて足掻いていれば、いつか抜け出せるのだと。 溢れる想いが、ため息となってこぼれた。 ***** 目を覚ました花純が見たのは、ソファに座ったその長い脚の両膝に肘をつき、両手で目を覆っている美馬の姿だった。 「おはよう。―――何かあったの?」 問いかけながら手元を見て驚く。しまっていたはずのものが、箱ごとソファテーブルの上に置かれていた。 「それ……っ!」 花純は飛び起きて手紙の束を奪ったが、時すでに遅し。美馬はゆっくりと顔を上げた。その目元が―――濡れている。 読まれてしまったのは明白だった。 出さなかった手紙の数々。プライベートなことを書きすぎて、送ってしまえば誰なのかわかるからという理由で出さなかったもの。そして美馬がテニスを引退し、一般人となってからはもう送れなくなってしまい、そのころ書いた手紙も投函せずに置いてある。 「……勝手に見て、ごめん。やっぱりこの手紙は、きみだったんだね」 「どうして……隠してたのに」 「隠してた?ちょうど目線の先にあったけど」 花純は内心唸った。目につかないようにかろうじて手が届く高い位置に置いていたのだが、背の高い美馬にとっては隠したことになっていなかったというわけだ。 黙って、花純は手紙の箱を抱え、美馬の隣に少し離れて座った。 「さっさと処分しておくべきだったわ。暖炉で燃やそうと思ってたのに」 「燃やす?冗談だろ?それならオレがもらっても構わないね」 「ちょっと……!」 ひょいと箱を取り上げられ、取り返そうと手を伸ばしたが遠ざけられる。そのせいで美馬の腕のなかに転がり込むはめになった。力強い腕が難なく受け止め、そのまま抱きしめる。 「離して……返してよ!」 「絶対にイヤだ」 きっぱりと言った美馬に、花純は目を丸くした。 「絶対?絶対って言った?勝手に読んでおいて……」 「ごめん」 「あやまってすむ問題じゃ……!」 怒る花純の顔を両手で包み口付ける。初めは言葉を封じるため軽く。そして味わいながらゆっくりと。酔わせるように。 「読んで後悔したよ。どうしてオレはさっさときみのところに来なかったんだってね」 「美馬……」 「きみがどれだけひとりで努力してきたかがわかった。あれこれ考えて、悩んで、傷ついたり喜んだりしたことが。……ほんの一部だろうけど。そばにいて、力になりたかった。一緒に祝い、喜び、辛さを分かち合いたかった」 花純は美馬の膝の上で身体を起こして肩をすくめた。 「実は何を書いたかあまり覚えてないの。書いたら忘れるたちなものだから」 「そう?なら読み上げようか?」 「い、いいわよ!欲しいならあげる。ただし目の前で読まないで」 「よかった」 嬉しそうに微笑む美馬に、花純は怒りを持続させる気になれず苦笑しながら立ち上がった。 「ちょっと来て」 キッチンにある美馬の背丈よりも高い、大きなワインセラーの扉を開く。一番上の、手が届きづらいところにしまわれたボトルを一本取り出すと、美馬に渡した。 「これは……オレが初めてきみに贈った……」 花純は眉をあげて微笑んだ。 「わかると思わなかった。そうよ。誕生日に贈ってもらったシャンパン。飲まずにとってあるの。もったいなくて、飲めなくて」 「自分が贈ったのにわからないわけないだろ?」 「だって、秘書とか執事とか、誰か他の人に贈らせたものかもしれないじゃない」 「違うよ。オレが選んで、自分で贈った。そんなふうに思って……。だから、返事をくれなかった?」 ため息をつき、花純は目を伏せた。 「そう……ううん。そうじゃないわね。……距離を置きたかったの。あなたにふさわしくなるまで。今でもまだ確信は持てないけど。でも昔ほどじゃないわ」 美馬が手にしたボトルのエチケットをそっと撫でる。 「そばにはいなかったけど、あなたのおかげでやってこられた。友達―――凱やジョゼからも聞いていたし、メディアを通じても、ひっそり追いかけていたわ。起こった出来事にどういう考え方をして、対応して、どんなふうに努力すればいいのか、いつも教えてもらってた。テニスでもモデルや女優でも、生きることそのものに大きな違いはないんだって」 「……オレもだよ。うちの秘書室長はきみがショウのあとどんなインタビューを受けたか、どんな映画でどんなコメントをしたか、事細かくまとめてくれたからね。ずっと見てた。オレのほうこそ、きみに支えてもらっていたんだ」 「……ほんとに?まさかファイリングしてるとかいうんじゃないでしょうね」 「そのまさかだ。ファイリングして、年代別にきっちりしまってるよ」 「面白い冗談だわ。それはぜひ確かめに行かないと。あのキレイな秘書さんにも会ってみたいし」 「正直言って、会わせたくない。きみを盗られそうだ」 顔をしかめた美馬に、花純は笑った。 「盗られるなんて。……わたしは……」 振り返ると、少し傷ついたような表情をした美馬と目が合った。寝癖で少し髪が乱れているのと相まって、少年のように見える。 吸い寄せられるように手を伸ばし爪先立って口付けるあいだ、彼はキッチンの壁にもたれ、じっとしていた。花純の唇が誘うまま息をひそめて。 「ねえ。このシャンパン、今ふたりで開けるっていうのはどう?10年分あるんだけど」 「……いいね。その前に、シャワーを借りてもいいかな?」 微笑んで、美馬は言った。 ***** あっ、きょうはもしかして鼻……じゃない、華の日!? 美馬サマのお誕生日じゃーん!! ……と気付いたのが8月7日の午後4時。 それからだかだか〜と打ったらできました。ただいま午後5時40分。 って、大部分は大昔に書いてたんだけどね! そんなわけで美馬サマ、ハッピーバースディ♪ これからもあなたと花純ちゃんの幸せを追求します! ……スマホのカレンダーアプリに登録しといたから!!(小声)

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